eN arts

菅 木志雄 個展

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KS-S-01-11b 2

菅 木志雄
presented by The eN arts collection
in collaboration with Tomio Koyama Gallery

2019年1月27日(日)- 2月24日(日)
会期中 金・土・日 12:00-18:00
オープニングレセプション:1月27日(日)16:00-18:00
アポイントメント承ります

 

2019年、弊廊初の試みとして、eN arts collection所蔵作家のショーケースとなる展覧会を開催致します。その記念すべき初回は題して「“Kishio Suga” presented by The eN arts collection, in collaboration with Tomio Koyama Gallery」。 「もの派」の代表的作家として国際的に活躍する菅木志雄の個展を開催致します。関西における菅の個展は1998年に伊丹市立美術館で開催されて以来21年ぶりとなります。本展では、小山登美夫ギャラリーの多大な御協力を得て、1975年〜2017年の菅木志雄作品と eN arts collection所蔵作品の一部を展示致します。

1970年代前後の日本において、 木・石・鉄板・ワイヤー・ガラス・セメント・土・パラフィン等、加工を施していないそれらの物質や物体=「もの」を作品の素材としてではなく“主役”として扱う、芸術表現の新しい流れ「もの派」が生まれました。もの派の中核である菅は制作を続けていく中でその表現を発展させ、独自の「ものの在りよう」を確立しました。その菅の表現する「ものの在りよう」とは-これはあくまでも私の個人的な見解ですが-表裏結界ではないかと考えます。即ち、見えている表面と見えていない裏面の表裏、そして「もの」のこちら側とあちら側を印す結界です。菅の作品は静かに佇みながらも、それらが置かれる空間や鑑賞者を繋いだり、隔てたり、分断したり、結合させたり…と“主役”として積極的にアクションを起動しているように感じられます。またその作品は、鑑賞者に見えている面から見えていない面を推察させたり、鑑賞者と空間の関係性を紐解く鍵となったりするのです。明治維新までは八坂神社の境内であった京都 祇園 円山公園内に位置する築100年の数寄屋造を再生したeN artsという空間で、御来廊の皆様を交えて、“主役”である菅木志雄作品がどう演じてくれるのか、ご期待下さい。

菅木志雄は岩手県盛岡市出身。1968年 多摩美術大学絵画科を卒業。以来、国内外の美術館やギャラリーで発表を続けています。近年では2012年「Tokyo 1955-1970: A New Avant-Garde」(ニューヨーク近代美術館)、2016年Pirelli HangarBicocca、スコットランド国立近代美術館、Dia Art Foundation、2017年「VIVA ARTE VIVA」(第57回ヴェネチア ビエンナーレ)、「ジャパノラマ 1970年以降の新しい日本のアート」(ポンピドゥ・センター・メッス)など、欧米の美術館に出展。国内でも2014-2015年「菅木志雄展」(ヴァンジ彫刻庭園美術館)、2015年「菅木志雄 置かれた潜在性」(東京都現代美術館)など大規模な展覧会が開催されました。作品は東京都現代美術館、国立国際美術館、広島市現代美術館、東京国立近代美術館、横浜美術館、原美術館、テート・モダン、ダラス美術館、M+、グッゲンハイム・アブダビ、スコットランド国立美術館、ポンピドゥ・センター、ディア美術財団、ピノー・コレクション等、国内外の多数の美術館やファウンデーションに収蔵されています。詳細は別紙CVをご参照下さい。

ロウ 直美|eN arts

 

 

菅木志雄 「有と無のあいだで」 2017年、小山登美夫ギャラリーで開催された菅木志雄「分けられた指空性」展覧会プレスリリースより抜粋

<もの>のもの足り得るあり方に意識を向けると、そこには、どうしても『相依』している状況があらわれてくる。ひとつの<もの>や、<ある状態>を考えようとすると、自分が目指しているものだけでなく、もろもろの<もの>がつながってくる。やっかいなことに、それぞれの<もの>が、わたしが直接関与するかどうかにかかわらず、それぞれにリアルにあるべき存在性と現実感をかもしだしている。それらはそれなり性向をもち、そこにあるべき姿が、当然そこにあるべきことを主張している。単純に見える状態もあれば、複雑な様相を呈したものまであるが、それらは、『相依性』が基盤 にある。ものによっては、わたしが使用しようとする<もの>に、直接かかわっているものもあれば、間接的にあって、見えかくれしているものまで種々である。ただ<ある>というのであれば、わたしはなんの苦労もなく、モノ(作品)を表わすことができるだろうが、なかなかそうはいかない。なにしろ『相依性』という前提かあるので、自らの位置をそのつどさがさなくてはならない。だからわたしは、いつも有の無の間でウロウロしているのである。」

本展では、1990年代に制作された珍しい封筒ドローイングを6点ご紹介いたします。下記は、Art Basel 香港 2018・キャビネットセクションに向けて日本国外で初めて発表された封筒ドローイングに関して菅氏が寄せた文章です。

封筒ドローイングについて:
わたしは、作品をつくるうえで、どのようなものでも使用できると考えている。

立体的なもの平面的なものの区別なく である。
郵便物の封筒も、使える素材のひとつにしてある。
ただ、封筒は、いわばドローイングをするためのものではないので、意識を変えなければならない。
なぜなら、何かが印刷してあったり、住所や名前が書いてあったり、あるいはなんらかの図柄がついていたりする。
封筒をそのまま使用するには、特定化を示すそれらについているものをどうにかする必要がある。
当然それを排除しなければならないが、その過程がある意味で描く必然を生むのであった。
消去と生起である。在るものを消すと同時に、何かを表わすことを考えたのである。
もうひとつ重要なことは、封筒は、袋状になっていて、空間を内包しているものである。
だから、中に入れるものによって、その内なる空間性は種々に変化する。
どれひとつとして同じ空間性が保持されることはない。
そのことが封筒を使用するときに必ず念頭にある。
だから、封筒の表面に何かをぬったり、ちょっとしたものをつけ加えるとき、わたしの中では、
表側のことだけでなく、包含された内側の空間にどのようにえいきょうするのか意識がいく。
こうなれば見えない空間も表現の一端として常に意識されているということなのである。
だから作品は、平面性と立体性、見えるところと見えないところを等分に表出するものとしてあるのだと認識している。                了

2017.9   菅 木志雄

*Press Release
*CV