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showcase#8 “共振体 – Resonators” curated by minoru shimizu

グループ展

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showcase #8 “共振体 – Resonators
curated by minoru shimizu

岡田 将  山口 梓沙

2019年4月12日(金)—5月12日(日)
会期中 金・土・日 12:00-18:00 開廊
オープニングレセプション:4月12日(金)18:00-20:00
アポイントメント 承ります

eN arts では、清水穣氏のキュレーションによります、写真・映像に特化したグループ展 “showcase #8” を開催いたします。展覧会のタイトルが示す通り、写真及び映像の現代若手作家の「ショーケース」となるこの展覧会は2012年からスタートし、本展がシリーズ8回目の展覧会となります。 “showcase” 出展作家の多くは キヤノンが主催する公募展「写真新世紀」受賞作家です。今回は、2018年度キヤノン写真新世紀優秀賞受賞者 岡田将 と 2017年度キヤノン写真新世紀優秀賞受賞者 山口梓沙のお二人が 副題である “共振体-Resonators”という括りによって選出されました。

そして 今年 eN artsは 第7回を迎えるKYOTOGRAPHIE2019に KG+として参加致します。KYOTOGRAPHIE2019のテーマは「VIBE」―私たちの感覚を研ぎ澄まし、自身の中に眠る何かを揺るがし覚醒させるもの-。そのKYOTOGRAPHIE2019のサテライト展示としまして、showcase #8 では、被写体から発せられるVIBEを感受した二人の作家が、各々のレンズを通して表現した作品群をご紹介致します。それらの作品と対峙したとき、鑑賞者である皆様の内なる感性が揺れ動かされますよう、心から願っております。

ロウ 直美 | eN arts

*Press Release

→過去のshowcase展はこちらからご覧いただけます。

showcase #8 “共振体 – Resonators” curated by minoru shimizu-

2012年に、才能ある新人を紹介する小企画展として始まった「showcase」も今年で8回を数え、今回初めてKyotographieに参加しようとしています。

第1回と第2回は「ネオ・コンポラ—cool & critical」と題して、日本の70年代の「コンポラ写真」の途切れた系譜を継ぐ、若手世代の多彩な表現を集めました。第3回「日本の肖像 Japanese Portraits」展では、不安定な未来を抱える現在の日本の肖像表現を考察し、続く第4回は現代におけるConstructed Photographyを再考する「つくりものconstruct」展、第5回は同じく現代におけるSnapshotを再考する「偶然を拾う— Serendipity」展を企画しました。第6回は、写真の物語性について検討する「Storytelling、引用の物語」展、第7回は「あるがままか画像加工か」という対の代わりに「写真かスキャンか」という対においてデジタル写真表現を考察するものでした。(詳細はeNartsのHP内アーカイヴをご覧ください)

2019年度のKyotographieの総合テーマは「VIBE」ということなので、今回のshowcaseではまさに世界から発せられるヴァイブレーションを感受し、それと共振して写真を制作する2人の作家を選びました。言い換えれば、彼らの写真は、事物の写真ではなく、事物が発するヴァイブレーションと「共振するものresonators」としての写真なのです。

岡田将(おかだすすむ1984年生)は、2018年度キヤノン写真新世紀優秀賞(Sandra Philips選)受賞。岡田が共振しているのは、芥子粒のような石に秘められた長大な時間です。作家は、マクロな自然からミクロな自然まで、人間の時間を超越して流れ続ける地学的・天文学的な時間世界に没入します。写真にはサイズという次元がありません。この本質を活かして、極小の砂粒が、極大の宇宙として撮影されています。

山口梓沙(やまぐちあずさ1995年生)は、2017年度キヤノン写真新世紀優秀賞(清水穣選)受賞。岡田とは対照的に、山口が共振しているのは、まさに人間的時間です。そこに生きている、生きていた人間の気配や記憶が、空間のなかからゆっくりと立ち上ってきます。作家はそれに感情移入するのではありません。そのかすかな雰囲気や幻聴を、繊細に増幅して何枚もの写真に変換するのです。

2019年4月  清水 穣

清水 穣(しみず みのる)
写真評論家、1995年『不可視性としての写真ージェームズ・ウェリング』(ワコウ・ワークス・オブ・アート)で第1回重森弘淹写真評論賞受賞。以降、定期的にBT美術手帖、Art Itといった媒体や写真集、美術館カタログに批評を書いている。主な著訳書に『白と黒で:写真と』『写真と日々』『日々是写真』『プルラモン』(現代思潮新社);『ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』(淡交社)、『シュトックハウゼン音楽論集』(現代思潮新社)など。これまでWolfgang Tillmans、森山大道、杉本博司、松江泰治、柴田敏雄、吉永マサユキ、安村崇といった写真家たちの写真集にテキストを提供している。

岡田 将

                                                                            2016-10-17T15:19:34                       メタデータ: 次元: Z(31) カメラ名: Color Camera Nikon DS-Ri2 開口数: 0.15 屈折率: 1 カメラ設定:  カメラのタイプ: Nikon DS-Ri2 Binning: 1.0x1.0 Exposure: 400 ms Gain: 1.5x Sharpness: Medium Brightness: 0.00 Hue: 0.00 Saturation: 0.00 WB Red: 1.39 WB Blue: 2.70 Scene Mode: Neutral Trigger Mode: Internal 顕微鏡設定:   Microscope: Manual Microscope Zスタック ループ: 31 - ステップ: 22.2 μm - デバイス:                                                   <DetectorSettings Binning="1x1" ID="Detector

この世に存在するものはすべて無価値だと考えている。世界はただ存在しているだけだ。無価値だからこそ、どんなものにも価値をつけることができ、喜びを見出すことができる。価値をつけることの自由と喜び。それこそが〈無価値の価値〉なのだ。

それらを表現するため、本作では砂を被写体とした。極小で、無数に存在し、その多くが無価値と見なされている砂を採集・選別し、細部までピントを合わせて巨大にプリントすることで、人間が認識するサイズの境界線を取り払い、サイズの背景にある価値観を取り払おうと試みた。

撮影には顕微鏡と高解像度のデジタルカメラを使用した。顕微鏡の性能に対して砂は大きすぎるため、ピントを合わせた部分以外の9割がぼやけていたが、砂の頂点から底辺までピントをずらしながら撮影し、200枚前後の写真からピントが合っている部分だけを抽出・合成するという、デジタル特有の技法を用いることで全体にピントが合った砂の写真を制作することができた。

人間は物事を理解するため、都合よく境界線を引いて分類していく。だが本来は、宇宙に存在する巨大な惑星も、足元に落ちている砂も、等しく同じなのだ。すべては無価値で、自由なのだ。

山口 梓沙

唇

生活の中で目にする大量のイメージによって価値基準が操作され、
「見る」行為がそれらに誘導されているように感じた。
促されたものを視界に入れる事は「見る」と呼べるのだろうか。
その様な疑問から今回の作品では
生理的な身体感覚を置き去りにせず、自分のまなざしで世界を見る事を試みた。

*山口梓沙CV

-出展作品-

-展示風景-