eN arts

Compression : Natsuki Oyagi + Keiuke Matsuda curated by Takashi Fukumoto

1
dm_yoko_omote

Compression : Natsuki Oyagi + Keisuke Matsuda
curated by Takashi Fukumoto

大八木 夏生 (御協力:The Third Gallery Aya)
松田 啓佑

2022年1月7日(金)- 1月30日(日)
会期中 金・土・日 12:00-18:00 開廊
アポイントメント 承ります
入場料無料

eN artsでは1月7日より「COMPRESSION: Natsuki Oyagi + Keisuke Matsuda」を開催致します。本展は国立国際美術館主任研究員として活躍されている福元崇志氏にキュレーションを依頼しました。公私にかかわらず数多くの展覧会や作品をご覧になっている福元氏が本展の為に選んだ大八木、松田両氏が「COMPRESSION」というタイトルに込められた意図(次頁の福元氏のステートメントを御参照下さい)に相応しい作品群を披露し、各々の異彩を放ちます。

パンデミックに恐れ慄き翻弄された2020年・2021年の憂鬱を払拭してくれる展覧会となるでしょう。

eN arts | Naomi Rowe

*Press Releae

Compression: Natsuki Oyagi + Keisuke Matsuda
見えるものを見えるままに描くのでも、見えないものを見えるようにするのでもない。また、何かをあらわすという目的自体から逃れ、線や色それそのものを提示するのともちがう。再現とも、表現とも、現前とも異質な描き。かつてふと目にとまった何か、おのれの身体をさっと通りすぎ、漠然とした引っかかり、違和感だけを残していった何かに、少しずつ手応えを与えていくその制作は、どこか確認作業然としている。

まずは大八木夏生(1991-)。彼女の仕事は、「ん?」と訝しむことからはじまる。たとえば古びたショウウインドウや、木の棒が突き刺さったフェンスなど、街で見かけた名状しがたい光景との距離感をはかることが主な目的だと言ってよい。ただその制作過程で、違和感は解消されるどころか、むしろ増幅されるだろう。撮った写真を手がかりに、マスキングテープで大まかに区切られていく画面。そこにアクリル絵具を塗り、カッティングシートを貼り、シルクスクリーンを刷っていくが、作業手順は追いがたく、どこが塗られ、どこが貼られ、どこが刷られた部分であるのか、ぱっと見では判然としない。

つづいて松田啓佑(1984-)。「世界全部を絵に変換」してみせたというその作品は、とかく言語化しがたく、作者自身でさえ説明に窮する。事物の姿をはっきりと提示する具象でないことはもちろんだが、事物の余計な要素を省いてすっきりとさせた抽象というわけでもない。書を想起させつつ、しかし記号として結実することのない「止め」や「跳ね」や「払い」のストローク。また、失敗作とつい疑ってみたくなるような、ひしゃげた土塊。彼の手がける絵画と陶芸は、ともに世界の感触を手探りで確認した痕跡、手を動かしながら世界の断片を少しずつ捉えていった結果であると言えるだろう。

大八木も松田も印象を描いている、と一応は言えるだろうか。しかしその印象は希薄で心許なく、モチーフ=動機と呼ぶにはあまりに弱い。だからこそ画家は、圧縮する。なけなしの印象を絞り出すその作業は、過去のおぼろげな記憶を振り返ることともまた異質であろう。自分がなぜ違和感を抱いたのか、そもそも自分は何を見たのかと自問するところから始まる描画。緻密に構築していってもよいし、勢いに任せて手を動かしてもよいが、いずれにせよその作業は半ば闇雲に、手探りで進められるはずだ。

輪郭の定かならぬ形象らしきもの。往々にして混在、併存される複数の場面、時間、事象。提示される画面はことごとく、一義的ないし統一的な解釈を拒絶する。でも心配はいらない。よく分からない対象を、よく分からないままに描いたところで、結局やっぱりよく分からないのだから。それは、得体の知れないこの世界を、得体の知れないものとして捉えようとした結果であると言ってよい。

2021年11月26日
福元崇志 (国立国際美術館)

大八木 夏生

dm大八木

「立ちはだかるしつげん、鉢合わせたウィンドウ」 2021 | H1,000 x W803 mm | パネルにアクリル絵具、カッティングシート、シルクスクリーン © Natsuki Oyagi

道端で見つけた「何だ、これ」というものを写真に収め、それらをモチーフに絵を描いています。

例えばそれらは色褪せたプラスチックの塊です。写真を見ていると何故そのようなものを記録する行為に一歩踏み出たのか、それらに何を見たのか、そのことについて知りたいという欲求に駆られます。写真を通して間接的に捉えることで現れる引っかかりがあるように、それらを描きシルクスクリーンや素材を使ってイメージを形作っていく中で可視化されるものがあります。私の作品はそのような得体の知れないぼんやりとしたものに対峙してみた過程の集積です。間接的な方法を取るからこそ無意識だったものが別の形となって浮かび上がり、新たに明らかになるものがあるのではないかと考えています。

*大八木夏生 CV

松田 啓佑

dm松田

「UNTITLED」 2021 | H220 x W293 mm | 紙にアクリル © Keisuke Matsuda

私は世界の存在の仕方、世界が存在しているということ自体のイメージを表現しようとしています。

それは作品を作ろうとする意識や、その時に更新されていく時間、言葉としての人間のシステムも全て、あらゆるものと同等に世界に存在しているということです。

このことは視覚的なイメージとして画面に写すというやり方では無理で、そもそも認識不可能で、表現しようとすること自体が矛盾を生んでいます、とはいえ、私は作品を作ろうと考えること自体を否定したり、即興に身を任せて作品を作っているわけではありません。認識不可能なことや、否定すること自体もまた、現実に存在しています。否定と肯定を超えた、その時の目の前の現実に立ち返ることから制作しています。

*松田啓佑 CV